皆さん、どーも!バウムです。
今回は人気テレビ番組
「あいつ今何してる?」にも登場した
はいだしょうこさんについて
そのプロフィールや
実は以前はタカラジェンヌだったということで
その宝塚時代や、なぜ退団したのかの理由について
紹介したいと思います!
プロフィール
はいだ しょうこ | |
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本名 | 拝田 祥子 |
別名義 | 千琴 ひめか(旧芸名) |
生年月日 | 1979年3月25日(41歳) |
出身地 | 東京都 |
身長 | 158 cm |
職業 | 歌手・女優・タレント・声優 |
ジャンル | 舞台・テレビドラマ・映画 |
活動期間 | 2003年 – |
活動内容 | 1998年 – 2002年:宝塚歌劇団 2003年 – 2008年:『おかあさんといっしょ』第19代目うたのおねえさん 2008年 – :ソロ歌手、女優、タレントとして活動 |
宝塚時代の裏話
うたのおねえさんとして有名な
はいだしょうこさんですが
宝塚での実力も
なかなかのもので
様々なエピソードがあったと言います。
でははいだしょうこさんが「千琴 ひめか」
として活躍した宝塚時代を振り返って見ましょう。
入団理由
はいだしょうこさんの父親は
前国立音楽大学准教授の拝田正機さんです。
そして、母親は声楽家でした。
はいだしょうこさんは小さな頃から上質な音楽に触れ続けてきたのです。
幼いころのはいだしょうこさんは父親の仕事上の都合で2年の間、
アメリカのニューヨークで生活をしていました。
はいだしょうこさんはニューヨークに住んでいる
日本人の子供を集めて歌を歌う番組で3歳の時に
初めてテレビ出演を果たしたそうです。
9歳の頃になるとはいだしょうこさんは、
作曲家である中田喜直さんを先生としながら
童謡やポップスなどを学んだといいます。
ちなみにこの中田喜直さんは「ちいさい秋みつけた」
や「めだかの学校」などの誰もが知っている
童謡などの作曲を手がけた日本を代表する作曲家だそうです。
また童謡の歌手としてコンサートなどでもその歌声を披露
するようになったはいだしょうこさん、
こうした活動をしていく中次第に宝塚歌劇団に入学することを夢見るように。
またはいだしょうこさんが宝塚を受験したのは、
家族そろって出待ちまでするほどの
宝塚ファンだったということも大きかったようです。
その中でも特に
月組のトップスターであった大地 真央さんに憧れて宝塚を目指したのだとか。
タカラジェンヌエピソード
中学2年生の頃から宝塚歌劇団を目指して
本格的に音楽などに取り組んできたはいだしょうこさん。
高校2年生になると宝塚の受験に挑みます。
1度は失敗したものの2度目の受験で見事に合格を果たすと、
通学していた国立音楽大学附属高等学校声楽科を中退し宝塚音楽学校に入学。
宝塚時代は常に成績は優秀で、しかも選ばれた人しか就くことのできない
『エトワール』を務めたと言います。
この『エトワール』がどんな役なのかについては
下記に説明があります。
厳しい宝塚音楽学校の生活を送っていたはいだしょうこさんでしたが、
卒業時の成績は非常に優秀だったといいます。
それを実証するかのようにオペラ部門の主席、
そしてポピュラー部門の最優秀歌唱受賞を経ての卒業だったそうです。
当時のはいだしょうこさんは日付が変わっても1人で黙々と練習を続け
「闇練の女王」と呼ばれていたとか。
タカラジェンヌの憧れであるエトワール
まさに憧れの役柄です。
舞台中央でピンスポットを受けながら
歌うことができるなどまさに宝塚で最も輝く場所なのです。
基本的には優れた歌唱力が認めれた人のみが勤める事が出来るわけです。
はいだしょうこさんが宝塚に所属していた当時は、
エトワールの資格が与えられるのは通常
6年目の研修をクリアした「研6」の人のみとされてきました。
そうした中、はいだしょうこさんこと「千琴ひめか」さんは、
2001年に何と「研3」、
つまり3年目でベルサイユのばらのエトワールに大抜擢されたのです。
いやさすが闇練の女王なだけありますね。
宝塚といえばそういった仕来りには厳しい場所ですから
如何にはいだしょうこさんの
実力が優れていたかが分かります。
退団理由
しかしそんな輝かしいタカラジェンヌとしての
生活に何故はいだしょうこさんは終止符を打ったのか、
その理由は、
子供の頃からのもう一つの夢である、
NHKの「おかあさんといっしょ」で
歌のおねえさんになるという夢を目指したくなったから
だそうです。
宝塚入団の夢を叶えても
そこで満足せず、また新たな夢に挑戦する
なんてカッコいいですね!
まとめ
いかがでしたでしょうか。
うたのおねえさんとしての
イメージが強いはいだしょうこさんですが
タカラジェンヌの千琴ひめか
としても輝かしい経歴の持ち主だったんですね。
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